食事のときにはきちっと座る-というしつけも

子育て特有の欠けてはいけない事人材育成の仕事を通じて気付いたアイデア認める褒める

今の問題は、雑談ができない長男はクラスに話す友達がいないこと。本人はあまり気にしていないようだが、親の方が気になっている。と言っても、私も友達がいなくても気にならないのだが.。多分年に二三回しか友人と遊ぶこともないが、それで十分なのだ。長男もそうなのだろう。半分大人なのだ。今更、いじめもへったくれもない。自分の目標が定まっているのだから、外野がどれだけ騒いでも、どうせ、クラスメートも勉強で忙しい学校なのだから。何かあると言ってもラインやメールの上の話でしかない。クラスで無視をされても関係ない。そんな感じで毎日ご機嫌で新しいことを学べる喜びを感じているようだ。そして、模擬テストの結果とにらめっこをしては、気持ちを入れ替えて頑張っている。私の出る幕はますます無くなってきた。今はただ見守るだけだ。

  • 幼児を叱るべき事なのか
  • 教育が定着することを願わずにはいられま育とともに
  • 子供心をつかんだら次はどのように

 

しつけ観が大きく分かれるところです

それで私は長男の高校受験の時敢えて熊本の酉部地区にある学校を考えさせたのです。酉部地区は昔からの住民がいて環境も山や川、畑が沢山あり、家業も漁業、農家、商家と色々でした。そういう豊富な自然、色々な家業、世代、幅の広い関わりのある地域の学校ではより多くの事を学べる機会があると思ったのです。長男はおっとりとした性格で東部地区の切磋琢磨して競い合うような環境より大らかな環境が適していると思いました。そしてこの長男の酉部地区の高校入学は私自身が色々なことを学ぶ機会ともなりました。
幼児の可能性を広げたいということで

思った通り、環境の違いは歴然としていて生徒たちは多くの世代の中で子ども時代を過ごした子が殆どでした。また、親たちは地域の関わりが深いゆえにしがらみのようなものも多いようでしたが開けっぴろげで、様々な問題も隠れず直ぐに表面化し分かり易く、逆に私もありのままのお付き合いが出来ました。家業の農家や熊本市街の商家の話なども興味深いものがありました。また、生徒たちの資質が東部と比べると違うものが見えました。それは生徒たちがのびのびとして心が驚くほど安定していることでした。

 

幼児に突っ込ませよう漫才というのは結構

必ず相互理解までつなげるということです相手を叩きのめしておしまいのケンカは「下手なケンカ」「下手なケンカ」をいくら繰り返しても、これまで述べてきたような「ケンカの効能」は得られません。「ケンカをして、ちの力で仲直りをする」というのがひとつのパッケージみたいなものです。「ケンカ&仲直り」をたくさん経験することで、積極的に他者との関わりを持つことのできる人間に育つのです。自分たちの力で仲直りすることが大切ですから、大人の口出しは不要です。ルール違反があった場合は割って入りますが、れ以外の場合は、大人は知らんぷりして見守りましょう。

きょうだいゲンカであっても原則は同じです。ケンカ上手は「できる男」ケンカというと、叩き合ったり殴り合ったりという物理的な暴力が連想されがちですが、大人になっても重饗コミュニケーション手段として機能します。実はケンカは進化して、子どもたちのケンカはまず「取っ組み合い」から始まります。いわゆる物理的な暴力です。そのうち言葉が発達してくると、「けなし合い」ができるようになります。いわゆる言葉の暴力を利用できるようになるのです。