しつけはすこしでも早くこれから離脱しなくてはならない

幼児たちの大きな特徴のひとつは

いつまでたってもほかのこどもとのふれ合いが稀薄なままで体と頭だけ大きくなっていく。知識さえあればそれでいいように考える。親は手許からこどもを離したがらない。親木の下で若木は育たない。タンポポだって、タネにははねがついていて、遠くへ飛んで行って新しいタンポポの生命を伸ばすようになっているではないか。人間の教育が植物の知恵にも及ばないのではいかにも情な母親は心を鬼にしてでも、こどもの心との車間距離を大きくとるようにしなくてはならない。

幼児は両親の望むような世話の焼けないはい子の姿で成長しないということです

かわいい子には旅をさせよ、である。人間の心は「人の間で見つけられるもので、他人と暮らしてみる必要がある。肉親の間でぬくぬくとしていてはわかるものではない。このごろ塾がすこし下火だという声を聞く。私は塾がかならずしも悪ではないという考えをもっているがただの点取り競争の訓練をするだけならバカげている。

 

一日に二三時間もテレビを見ているような幼児は

ところが、運動を好まない子どもには「困難に挑戦しようとする意欲が乏しい」巧緻性も発達し、意欲的である」そのような子どもを合宿で発見すると、私たちは両親に対していろいろな提案をするのですが、親は、知的な面の発達のみを望んでいるから、なかなかそれを聞き入れません。残念なことに、合宿に参加した子どもの中から、すでに数名の登校拒否児が現れましたが、みな運動を好まない子どもでした。それらの子どもが、物識り博士であったことも共通しています。登校拒否を起こしてから私たちの相談室に現れたお母さんに、合宿直後に自発性を育てるようにと提案したことを話すと、なぜもっと強く言ってくれなかったのかと、私たちを非難したお母さんもいました。まったく他罰的(他人のせいにするというよりほかはありません。
幼児に完ぺきさは求めない

幼児が自発的に選んだ遊びはいきいきとしています

それは、お母さん自身の自発性が未発達であることによります。さらに父親の協力が得られていないことが、それに拍車をかけていることも見すごせません。エネルギーをもて余しているような子どもは、衝動的に攻撃的になることがあります。街灯に石をぶつけてこわしたり、金属の洗面器を棒でガンガンと叩いて、すっかりつぶしてしまった子どもたちもいました。また次々と落書きをした子どももいました。

幼児たちをそれほどまでに魅了するのでしょうか本来なら

このゲームのポイントは「自分が提供したら、相手も提供してくれる人を見抜けるか」と言う所です。実験の結果は、予め行ったアンケートで最も他人への信頼度が高かった人の的中率が75%、他人への信頼度が最も低かった人の的中率は42.3%で、他人に対する信頼度が高い人ほど的中率が高く、信頼度が低い人ほど的中率が低いという結果になりました。この実験結果は実に面白いのです。人を信じられる人は人を見抜く力が高く、人を信じられない人は人を見抜く力が低いと言う結果が出ているのです。「人を見たら泥棒と思え」と人を疑って育てば、騙される事は少ないかもしれませんが、同時に騙される経験も積めませんので、結果的に人を見抜けず騙されやすくなってしまい、結果として損をするのです。

幼児とともに遊ぶことの楽しさを味わうことができたからです

逆に、人を信じ易い人は騙される経験を積む事で、人を見抜く力が備わるので騙され難くなり、結果として得をするのです。経済学では、「囚人のジレソマ」として「信じる」とは逆の「裏切る」と言う視点から説明されています。こうした実験からも分かるように、「社会性の基本は人を信じる事」なのです。そしてこうした実験から「与える者は与えられ、奪う者は奪われる」と言う事が分かります。それは金品や物品だけの事ではありません。その一つが「笑顔」です。いつも人を笑わせている人は、人に笑顔を与えています。